(新)司法試験には、“短答合格”という概念がない。
短答式試験は、独立したものではないので、“足切り”としての機能しか見えない。
旧司法試験では、論文式試験不合格は、その前提たる短答式試験合格も意味していた(論文本試験会場でもらえる専用の六法がその証だった)ので、良くも悪くも、ある程度の達成感はあったのだ。
私自身も、初めて短答式試験に合格したときが一番うれしかった(cf.この記事の6月の回想)し。
こういう“合格感”は、旧司受験生の間での、割と牧歌的な雰囲気作りに貢献していたと思う。争点が短答・論文(・口述)と拡散していたので、受験生間で争う意識もそんなになかったような。
その時代と比べると、(新)司法試験は、“合格感”を得にくい試験だといえる。
短答式試験で“足切り”にあわなかったことで得られる達成感は、“合格感”とはだいぶ違うと思う。
そうすると、最終合格したかどうかが唯一の争点となってしまい、受験生の間で争う意識が激化する一因となっているような。
これが、三振制度やらロー単位での囲い込みやら何やらと相まって、受験生のメンタル面に対する波状攻撃となるわけだ。
そういうふうに、様々な角度から弱者を追い詰めて自分たちに依存させようとするのは、某業界ではよくある手口だよね〜まったく!